『意訳』 解説


           「酔いどれ船」の意訳について


 実は、ランボォの「酔いどれ船」を、私はあまり読んだ事がなかった。
 何故かというと、文語体訳しかお目に掛かってなかったからである。小林秀雄も「酔いどれ船」は文語体でしか訳してない。
 私が目にしたのは堀口大學のもので、文語体などはっきりと読めない中でも、「非情の河また河と下りゆくに」や、なぜか「フラマンの小麦」とか、「もし、我のいまヨーロッパの水を願うとあらば」などが、心に引っかかったのみであった。
 唯一、口語体でお目にかかったものは、寺山修司が自分で訳したであろう一文「おれはみた、不思議な恐怖に染まり 凝固したような細長い紫色の光を放つ ひくい太陽を」であった。これには随分と惹かれたが、なにぶん当時としては全文口語訳の詩にお目にかかる事はなかった。私はまだ学生であった為、分厚い口語訳の値段が高い本は買えなかったのである。
 ランボォの「酔いどれ船」は、研究者や訳者などが、解説でもまず冒頭に上げるほど有名であり、優れた詩として紹介される。私はといえば、文語体による内容がよく理解出来なかったゆえ、読めないのだからしょうがないとし、小林の『地獄の季節』や、『飾画』(イリュミナシオン)ばかりに夢中になる。
 やがて大人になり、とうとう口語訳の『ランボー全詩集』(青土社)と、ちくま文庫の『ランボー全詩集』(宇佐美 斉 訳)を手に入れたわけである。そして、ここで思い出し、「酔いどれ船」を読んだ・・・・・・、が、さっぱりその詩の良さが解らない。唯一目についたのは宇佐美氏訳の、
「私は夢に見た 幻惑された雪が舞う緑の夜 すなわちゆるやかに海の瞳へと湧き上がる接吻を 驚くべき精気の循環を そして歌う燐光が黄と青に目覚めるのを」であった。
 当初、ただの言葉遊びとして、「永遠」 「酔いどれ船」 「幸福」 「或る理性に」などの一文同士を組み合わせて楽しみ、小林の『飾画』さえも、現代語風に変えていたりしていた。だから私には、この宇佐美氏訳を、即座にこう読めてしまったのである。
「俺は夢にまで見た。幻惑された雪が、新緑の夜の彼方へ。すなわち、たゆまない海の眼差しへと溢れ出る接吻を。恐るべき気力への回遊を。もの歌う燐光が、黄金と青とに目覚めるを!」
と、その時、ふと気づいた。閃いたのである。
「どうせなら、せっかく手に入れたランボー全詩集があるし、『酔いどれ船』を自分が読みたいように全文意訳してやろう」と。
 そうして、全文の意訳に取り掛かったのだが、その時はまだ気楽に考えていたし、実際、原訳そのまま抜粋の一節もありとしていたのだが、それでは段々気が済まなくなり、出来る限りを意訳し直してしまった。
 そこで感じたのだが、「酔いどれ船」自体の詩文の流れが、『飾画』(イリュミナシオン)を知っている私にとって苦痛になっていった事である。なるほど、「酔いどれ船」を作った頃のランボォ(十七歳)は、まだまだ『イリュミナシオン』(推定十九歳から)ほどの、断絶したイメージでありながらも、その世界観は統一されており、全体文の流れはリズム感を損なってない、という所までは至ってなかったのである。
 それは、訳者が小林秀雄だったらという事ではなく、ランボォその人の詩にリズム感がないのだと、意訳していて感じた。では、私が思い切って、流れを作ってみようかと試みたが、いかんせん原詩に原因があるのであれば無理なのである。実際、研究者などは、「当時まだ海を見た事もないランボォが、的確に海の描写をしている事は驚愕に値する」などと書いているが、冷静に読むと、それほどのものではない事が伺える。さすがのランボォも、まだ完成域の途上であったと言わねばなるまい。それに、この詩の最後の方に「静かに満ちた木々の香り漂う夕暮れに、悲しみにうずくまる少年が一人、五月の蝶に似た小さな舟を浮かべている」といった、あまり関係のない美しい詩節を挿入する所からもそれが伺える。ただ、ランボォの成長の早さは、まさに早熟の天才であり、十六歳から二十歳までの歳の取りかたは、普通の人間の一年が、ランボォは四年分歳を取っていたと感じざるを得ない。 であるから、意訳した「酔いどれ船」は、多分に文体の流れが悪いと感じる事であろう。
 一方では、連の中だけでも上手くいった例として、
 「またそこでは、太陽が狂乱のもとに、ゆるやかなリズムが波打つ青海原を染め上げ、アルコールより強く、我が竪琴の旋律よりも巨大に、愛の苦い唇が成長するのだった」という一節である。
 これは、宇佐美氏訳だと、
「またそこでは 蒼海原がいきなり染めあげられて 太陽の紅の輝きのもとで錯乱し かつゆるやかに身を揺すり アルコールよりなお強く また私たちの竪琴の音よりなお広大に 愛欲の苦い赤茶色の輝きが 醗酵するのだった」からと、平井啓之氏と湯浅博雄氏との共訳、
「またそこには、真赤に輝く太陽の下、狂奔する波、穏やかなリズムの波の青海原を急に染め、アルコールより強く、わが竪琴の音色よりも広漠とした愛の苦い朱色が醸し出される!」から意訳したものである。結局、「愛の苦い唇が成長するのだった」という箇所にこそ、意訳の差異たるものだが、これも邦訳したお三方の訳詩文があっての事で、私の意訳も成り立つわけである。
 私なりに随分手間の掛かった意訳であるが、こと「酔いどれ船」に限っては、たぶんこれから先、これ以上読みやすく、比喩効果の解りやすい日本語の「酔いどれ船」は現れないだろう。なぜならば、訳者としては素人が訳したものだからである。



           「都市郡T」の意訳について


 今回は疲れた。どうしてかというと、この作品、前半からそのほとんどが写実的で、しかもその描写がデフォルメされているにも関わらず、まったく比喩表現が機能していなかったからである。では、何故この詩を選んだのか? それは十代の頃、初めて読んだこの詩に、巨大なる彫刻や絵画といったような表現を見せられ、読み手として、その当時は魅力的に感じていたからなのだが、いざ意訳する為、この作品に触れてみると、私はひたすら、ランボォの旅の思い出のような描写に付き合わされ、私の出番はというと、後半の、「都市の郊外は、巴里のシャンゼリゼのように優雅で、きらめく風に色を撫でられ、デモクラシーを掲げる者達は百名余り。田園風景は消えそうで、洋館はまばらに、原生林の遥かに見渡せる霧に隠された境界線は伯爵領まで続き、野生的な貴族達が創造した光の下に、その年代記を奪い去る途方もない森林と農場との、永遠の西を占めている」ぐらいになる。
 それとて、当初は無駄であろうと考えていた表現を削って、次のように意訳していた。
「都市の郊外は、巴里のシャンゼリゼ通りのように優雅で、きらめく風に色を撫でられ、洋館はまばらに、原生林の遥かに見渡せる霧に包まれた境界線は伯爵領まで続き、野生的な貴族達が創造した光線の下に、その年代記を奪い去る途方もない森林と農場との、永遠の西を占めている」というふうに。 だが、最近の私は、自分自身も懸念していたように、なるべく原詩の意味を損なわないように意訳し始めており、ある意味、読み手にはほぼ、ランボォの意図した情報を伝えられはするが、こういう作品は私自身、つまらないものであり、苦痛でもある。
 この節は、訳者が違えば、その数だけ違う邦訳があるくらい、混乱している表現といえる。私的には、この節だけが最初に着想されていて、それを生かす為に、わざわざ全体的な詩を、ランボォは作ったのではないかとさえ勘ぐってしまう。
 混乱という意味では、「都市」という題の詩は、三作あり、単一の「都市」と、複数の都市を描いた「都市郡T」と「都市郡U」があり、小林秀雄訳であると、「街」と「街々」×2となる。今回意訳したのは、Tのみであるが、実は、その小林訳でもあるように、二作の「街々」の間に、「放浪者」という詩が挟まれている。これは、ランボォに原稿を渡され、それを清書したヌーヴォーが、配列を間違えてしまったとされる。これに気が付いたランボォが、TとUの数字を消し、それぞれに独立した形の作品にせざるを得なくなり、その決定を下したのはランボォ自身ではあるが、最近の全集の傾向として、当初のランボォの意向に沿い、連続した詩編としてのTとUを、私も付ける事にした。
 さて、この詩の突出した表現である「永遠の西を占めている」とは、どういう事か? ランボォの研究者は常に、複雑で幻想的解釈をしているようだが、私はもっと単純に解釈する。聖書に於いて、カインはエデンの東に追放された。では、西にあるのは当然、エデンそのものなのである。



           「H」について


 フランス語でHは、アッシュと発音し、この詩の最後に出てくる「オルタンス」という名前は、フランス語で「Hortense」と書き、簡単に解釈すれば、題名との関連性を匂わせている。「オルタンシア(Hortensia)」または、「オルテンシア」と言う紫陽花を意味する単語は、オルタンスという名詞から由来していると言われている。
 では何故、ランボォは、わざわざこの名前を選んだのか? もちろん、諸説あるが、ここでも私の見解を述べておこうと思う。
 あくまでも推察だが、実は、オルタンス・マンチーニ(Hortense Mancini:イングランド・スコットランド国王チャールズ二世の妾1699没)と言う名の実在の人物がいて、この女性こそがモデルだったのではないかと考える。彼女は、フランスで最初に回顧録というものを出版した有名な女性で、男装を好み、バイセクシャルであり、芸術家のパトロンとしても有名だったからだ。
 そういうイメージの女性の名を選んだ理由として、研究家は触れない場合もあるが、やはり当時のランボォが、ホモセクシャルであった事を、無視できない。ただ、それは一つの基点に過ぎないとはいえる。何故なら19世紀末フランス文学の一派に、高踏派(パルナシオン)があり、ヴェルレーヌなどがそうであったのだが、その高踏派の目指す所は、両性具有(アンドロギュヌス)なのであった。
 両性具有者こそが、至高の英知に辿り着けるといった風潮があり、当然ヴェルレーヌと共に、ランボォもその影響下にあったのだといえる。その行き着く先がホモセクシャルとなってしまったようだが、ランボォ自身、詩作品に、あまりホモセクシャルを想起させる直截的なイメージは、避けていたような感があり、作品に普遍性を持たせる為には当然だったとも言える。
 私の解釈として、高踏派の掲げる両性具有とは、=ホモセクシャルではなく、男も女も超えた存在であり、神とまではいかないが、人間を超えた存在だと、今でも勝手に解釈している。ちなみに、「酔いどれ船」に登場する海の怪物レヴィアタンは、ユダヤ教の伝説で、両性具有の怪物と考えられていた。
 前文に、「当時のランボォ」と書いたが、文学を捨て、アビシニアのハラルに旅立った「その後のランボォ」としては、現地で女性と同棲している所を目撃されている。
 つまり、文学に興味がなくなり、書簡に於いても「君達の文学ごっこ」などと、冷めた態度を取っていたランボォは、文学創作期間のみ、ホモセクシャルだったのであり、両性愛という訳でもなく、元々ノーマルな男だったのではないかと思う。
 他の仮説としては、性的なものや、麻薬であるハシッシュを表しているのではないかと言われているものもある。ヴェルレーヌも常用者だったが、以前意訳した「陶酔の午前」も、ハシッシュ吸飲時に書いたものではないかとさえ考えられていて、「H」と対になっているという。「陶酔の午前」の終わりに、「刺客」とあるが、原詩は「アサシン」となっており、意味は確かに、刺客や暗殺者なのだが、歴史的にみると、イスラム教のハシッシュを常用する伝説の暗殺集団を指している。
 「陶酔の午前」は、ボードレールの『人工天国』の影響が強く、それは理解できるが、「H」の詩一篇で、一冊の研究書も出す研究者もいるくらいで、果たしてこの謎めいた詩の、野生の道化の鍵は、ランボォの言う通り、ただ彼一人が握っているとしか言いようがない。




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